チェルシーFC情報館

ロンドンを拠点に活動するプレミアリーグ所属のチェルシーFCに関するブログです。たまに、他チームも扱います。

(マッチプレビュー) アヤックス vs チェルシーFC

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チェルシーはオランダに乗り込み敵地でアヤックスと戦う。

チェルシーは現在グループステージ1勝1敗。対するアヤックスは2勝0敗でグループ首位に立っている。

グループを通過するためには突破しなければならない壁である。

なんとしてでも勝ち点1以上は持って帰りたいところだ。

 

◎直近成績(5試合)

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チェルシ

直近成績5勝0敗

vs グリムズビー 7-1 ○

vs ブライトン 2-0○

vs リール 2-1 ○

vs サウサンプトン 4-1 ○

vs ニューカッスル 1-0 ○

 

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アヤックス

直近成績5勝0敗

フォルトゥナ 5-0 ○

フローニンヘン 2-0 ○

バレンシア 3-0 ○

デン・ハーグ 2-0 ○

RKC 2-1 ○

 

◎怪我人&出場微妙選手

チェルシー        アヤックス

 

リュディガー ×                      なし

ロフタスチーク ×

エメルソン ×

クリステンセン △

バークリー △

カンテ △

 

◎まとめ

 

昨季セミファイナリストはデリフト、デヨングを失ったものの実力は健在だ。

タフな試合になることが予想される。ともに5連勝中で迎えるこの一戦。

グループHの行方を占う一戦になるだろう。

 

UEFA CHAMPIONS LEAGUE

 

AJAX vs CHELSEA (2019.10/24 1:55 AM K/O)

 

(選手コラム) ウィリアンの物語 -家族との秘話、チャントの秘話-

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ウィリアンボルジェスダシルヴァ。ウィリアンは先日チェルシーで300試合出場の偉業を果たした。

 

今季エデンアザールからNo10を引き継ぎ、ベテランの域に達してきた彼はチェルシー愛が誰よりも強い選手の一人である。

 

今回はそんな彼のストーリーを見ていこう。

 

☆ウィリアンの物語

 

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ウィリアンは1988年8月9日にブラジルのサンパウロ州で誕生した。

平均的な家庭で生まれたウィリアンだったが、幼少期はドラム演奏などをしながら家計を助けていたそうだ。なので幼少期からサンバビートのドラムは一通り演奏できたそうだ。

 

このサンバビートがウィリアンの独特なドリブルのリズムを育んだ。

 

ウィリアンは幼少期、他のブラジルの少年たちと同じように毎日フットボールもプレーしていたようだ。

 

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当時ウィリアンが憧れたロナウド

彼の転機はカンテと同じように1998年ワールドカップだった。当時9歳のウィリアンはワールドカップを何気なく眺めていたという。しかし、ジダンロナウドのプレーを見て、彼らのようになりたいと強く思ったという。そこからウィリアンはプロフットボーラーになるという夢を持つようになる。

 

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コリンチャンス時代の貴重な写真



そしてウィリアンはコリンチャンスのユースに加入する。ユース年代で実力を示していたウィリアンは18歳の時にトップチームデビューを果たす。デビュー戦のパラメイラス戦で2ゴールを挙げ彼の名は全国区になるのだった。

 

翌年2007年、14億円の移籍金でシャフタールに移籍し、その後アンジに加入しチェルシーにやってきた。彼のキャリアはこんな感じだ。

 

☆家族との物語

 

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ウィリアンの父

ウィリアンの父はフットボールに対して非常に情熱的な方だったそうだ。

幼少期にウィリアンのポテンシャルを肌で感じ、彼をフットボール選手に育て上げた。

ウィリアンが10歳の時コリンチャンスのユースに加入した際、家族はサンパウロ州への移住を決意したという。何故ならばウィリアンのプレーを毎日監視するためだったそうだ。

 

ウィリアンは父についてこう話している。

 

"僕の父は本当に情熱的な人だよ。父が僕の試合を見にきた時、僕やチームメイトに時々言いすぎてしまう事がある。だから僕はいつもこれ以上何も言わないでくれって父に頼んで父を沈静していたよ。"

 

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ウィリアンの母はとても優しい方だったそうだ。

幼少期のウィリアンが毎日フットボールができるように必死に働きウィリアンを育て上げたそうだ。

ウィリアンの母は2016年に残念ながらガンによってこの世を去った。

 

ウィリアンの母が亡くなった後のレスター戦では得点を挙げたエデンアザールジエゴ・コスタがゴールをウィリアンと母に捧げた。

 

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ウィリアンにゴールを捧げたコスタ

ウィリアンは亡くなった母にこうメッセージを残している

 

"ママ、本当に寂しいよ。でも僕はこの事実を受け入れるよ。だって僕たちは永遠に一緒に生き続けてるって知ってるから。僕はまだ地球に居続ける。僕はママと同じように天国に行けるように神の教えに誠実であり続けるよ。"

 

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☆ウィリアンの応援歌の秘話

 

ウィリアンの応援ソングはトッテナムへの移籍を直前で破談にし、チェルシーへ向かった実話を元に作られたというのはチェルシーファンの間では有名な話だ。

 

今回この移籍の話をしているインタビューを見つけたのでぜひ読んでほしい。

 

ウィリアン

 

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"チェルシーと契約した瞬間っていうのは僕にとって人生最高の瞬間だった。なぜならばチェルシーに入る事が僕の夢だったからね。確かにトッテナムとの契約を破談にすることは本当に難しかった。だってメディカルチェックも個人契約も済んでたからね。

でも、僕は彼らの契約書にサインは書かなかいてなかったから、トッテナムとの契約はオフィシャルでじゃなかったんだ。そしたらアブラモビッチから電話が来たんだ。本当に驚いたよ。

電話が切ってからすぐにトッテナムのマネジメントチームに本当にすいません。僕はチェルシーに行かなければいけません。と告げてチェルシーに向かった。だってそれが僕の夢だったからね。"

 

一番最後に300試合出場を達成したウィリアンのインタビューを残して終わりとしたい。

 

ウィリアン

 

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"いつだってたくさんの試合でプレーできる自信はあったよ。でも自分を信じる必要があったんだ。300試合出場は簡単にたどり着ける数字じゃないよ。特にチェルシーというビッククラブではね。常に勝負の世界だよ。常にライバルとのポジション争いだ。

だからこそ日々、自分の価値を証明しないといけない。それが出来ないならプレーする資格はないね。自分の価値を証明すること。この6年間常にそれにこだわってきた。6年間、いろんな監督・チームメイトと試合や練習を重ねていく中で、自分はここにいる価値があると思って頑張り続けてきたんだ。

振り返ってみると今自分がこの記録を達成できて本当に誇りに思う。できることなら後、もう300試合出場できたら最高だね!!"

 

 

(選手コラム) ゴミ拾いから世界的名手へ-愛すべきエンゴロカンテの物語

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トッテナム指揮官ハリーレドナップはこう告げた。

 

"カンテは一人でマケレレ・キーン・ヴィエラ三人分の仕事をする。"

 

チェルシーのエンゴロカンテは世界最高の守備的ミッドフィルダーの一人であり、チームメイトから最も愛される男の一人だ。

 

今回はそんなエンゴロカンテの物語を見ていこう。

 

 

★エンゴロカンテの物語

 

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トロフィーを見上げるカンテ

エンゴロカンテは1991年5月29日、フランス・パリで誕生した。カンテの両親は1980年西アフリカからより良い環境を手に入れるためフランスに移住したそうだ。そこで彼は生を授かった。

 

カンテは五人兄弟の長男として誕生し、すくすくと成長していった。しかし、彼が11歳の時最愛の父が他界してしまう。まだ11歳だった彼に一家の長男としての責任がこの時重くのしかかった。

 

この時彼はサッカーで家族を救うことを固く決意する。

 

幼き日のカンテは既に働くことの価値を知っていた。なぜならば、彼は人生において何かを成し遂げるためには働いてお金を貯めることが唯一の手段と悟っていたからだ。

 

ちなみにパリの近くの貧困エリアで育った彼は、東パリ中の価値のあるゴミを拾い集めて、リサイクルショップに持っていきお金を得るという方法で生計を立てていたそうだ。

 

しかし当時のカンテはゴミ拾いを続けても家族が貧乏な生活から抜け出せないことを強く理解していた。そして経済的な自由を得るためにできる代わりの仕事を探し求めていた。

 

少し話は過去に戻る。1998年フランスワールドカップでカンテはスタジアムや街に捨てられたゴミによって大金を手にする。そしてフランスが優勝しフランスが熱狂に包まれる姿を彼は目の当たりにした。当時のフランス代表には多くにアフリカ系のフランス人がプレーしており、カンテは彼らに目を奪われた。当時7歳のカンテの心の中にこの出来事は強く残ったという。

 

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翌年、8歳のカンテは地元のクラブJS Suresnesでフットボーラーとしてのキャリアをスタートさせた。

 

チームに加入したカンテは、すぐにチームの注目の的になった。なぜならば、彼は異常に小さかったからだ。

そして彼はチームメイトから身長のことでひどい扱いを受けていたそうだ。

 

それでも謙虚に努力を続けたカンテはユースチームで早くも成功を掴み取る。

 

カンテの旧友はこのようなことを語っている。

 

"カンテは僕たちより3歳年下だったけど、すでに僕たちと一緒に戦うだけの資質はあった。地元のチームと試合した時、終了10分前に彼がピッチに入ったんだ。もちろん味方も相手も彼より一回り大きかった。でも誰も彼からボールを取ることができなかったよ。"

 

カンテは血の滲むような努力をし、成長をしたそうだ。

 

カンテはこのクラブに四年間在籍した。最後に面白いエピソードを一つ紹介する。

 

当時カンテのコーチをしていた男がカンテについて語っている。

 

コーチ

"カンテは私が言ったことは絶対にやり遂げる選手だった。だから休日に入る前のある日、彼にジョークを言ったんだ。

エンゴロ、君に二ヶ月あげるから、右足・左足・頭で50回ずつリフティングを成功させなさい。

二ヶ月後、彼は本当にやって見せたんだ。僕は衝撃を受けた。それ以降彼に何かをやれとは一言も言ってないよ。"

 

数年後、成長したカンテはブローニュでプロとしてのキャリアをスタートする。

 

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ブローニュ時代

カンテはこのクラブで素晴らしいプレーを披露し続けた。

 

当時の監督はカンテについてこう語っている。

 

"カンテは本当に素晴らしいプレイヤーだ。自陣から敵陣まで至る所をカバーすることができる。カンテはどこにでも顔を出す。本当に素晴らしい選手だ。"

 

その後カーンに引き抜かれ二年間プレーしたカンテは世界最高峰のリーグプレミアリーグに活躍の場を移す。カンテが加入したのはこの年奇跡を起こすレスターシティだった。

 

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レスター時代のカンテ

カンテはレスターシティで世界から注目を集めることになる。移籍してきた当初ラニエリ監督はこの体格でプレミアリーグを戦うことは不可能だと考え、彼の獲得に反対していた。

 

事実、当時ラニエリカンビアッソの代わりを探しておりサウサンプトンクラーシの獲得を目指していたようだ。しかし彼を獲得できず代わりにカンテがやってきた。

 

クラーシの獲得に失敗したことがラニエリにとって最大の幸運だったと彼は後に知ることになる。

 

レスターはリヤドマフレズ・ジェイミーヴァーディー・岡崎慎司を擁しプレミアリーグで首位を快走していた。しかし間違いなくチームの原動力はエンゴロカンテだった。

 

このシーズンレスターは奇跡の優勝を果たし、カンテはチームが選ぶ年間最優秀選手に選ばれた。

 

迎えた翌シーズン、ヴァーディーやマフレズが残留を表明する中、カンテは新たな挑戦を決意する。彼はイングランドのビッククラブ・チェルシーへの移籍を決意した。

 

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アントニオコンテ監督の初年度、カンテはチェルシーに加入した。しかし彼はコンテの一番欲しかった選手ではなかった。コンテはナインゴランを求めていた。

 

しかしプレーでコンテの希望が間違っていたことを証明した。ネマニャマティッチとコンビを組み鉄壁を作り上げこのシーズンチェルシープレミアリーグ制覇を果たした。

 

カンテは個人プレミアリーグ連覇を果たし、プレミアリーグ年間最優秀選手を受賞した。

 

次の年はプレミアリーグを5位で終える結果になった。

 

そして2018年、カンテはロシアW杯でフランス代表のメンバーに選出された。

 

フランス代表は快進撃を続け決勝でクロアチアを撃破。カンテはW杯チャンピオンになった。

 

幼い頃ワールドカップを見てワールドカップを夢見てサッカーを始めた男が夢を叶えた瞬間だった。

 

ゴミ拾いをしていた少年がフランスに夢をもたらした。幼い頃見た夢のような風景を彼は己の力で現実にしたのだった。

 

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これがゴミ拾いから始まったカンテのシンデレラストーリーである。

 

世界一謙虚な成功者は今日もスタンフォードブリッジのピッチを縦横無尽に駆け回る。

(選手コラム) マテオ・コバチッチの物語

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かつて、バロンドーラーMFルカ・モドリッチはマドリーのペレス会長にこう告げた。

 

"会長、インテルのマテオ・コヴァチッチを今すぐ獲得してください。彼は近い将来、必ずバロンドールを獲得します"

 

クロアチアの英雄に太鼓判を押されマドリーに加入したコヴァチッチは現在チェルシーFCでプレーしている。

 

今回はそんなマテオコヴァチッチのストーリーについて紹介しよう。

 

 

★マテオ・コバチッチの物語

 

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幼少期のコバチッチ

 

コバチッチは1994年5月6日にオーストリアで誕生した。もともとコバチッチの家族はボスニアに住んでいたが、紛争から逃れるためにオーストリアに移住したそうだ。 

そこで彼は誕生した。コバチッチは家族にとって待望の一人目の子供だった。

その後、二人の妹に恵まれたコヴァチッチは長男としてたくましく育っていった。

 

6才の頃、リンツという地元のクラブでフットボール人生をスタートさせた。

 

小学校時代、コバチッチのあまりの上手さに観客、コーチ、そしてレフリーまでもが目を点にして驚きを隠せなかったという逸話が残っている。

 

もう一つコバチッチを語る上で話しておきたい話がある。それは、コバチッチが幼少期に地元クラブのボールボーイをしていた時の話だ。

当時CLでリヴァプールがやってきた。コヴァチッチは試合終了後一目散にスティーブン・ジェラードに握手を求めに走ったという。しかし、ジェラードは一切握手に応じず、コヴァチッチはひどく落ち込み涙を流したという。その瞬間コバチッチの将来の選択肢の中からリヴァプールというクラブは除外されたという。

 

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その後、13歳になったコバチッチにはアヤックスインテルバイエルンミュンヘンユベントスなどが多くのヨーロッパのトップクラブが関心を示していた。

それと同じ時期にコバチッチの父親がクロアチアで新しい職を手に入れる事となった。

この出来事によってコバチッチの家族はオーストリアからザクレブへの移住を余儀なくされた。

クロアチアに移住したことによりコバチッチはディナモザクレブへの加入を決心する。

このディナモザグレブへの加入がコバチッチのサッカー人生を大きく変えることになる。

 

若かりし日のコバチッチはこのクラブでルカ・モドリッチと出会う。その出会いが彼を大きく変えていく。

 

モドリッチは彼の才能に気づき多くのサポートを彼にしたという。気づけば彼らは師弟関係になっていた。

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コバチッチは当時のことについてこう話している。

 

コバチッチ

"モドリッチのサポートは僕にとって本当に大切だった。ザクレブで彼と過ごした2-3年間で彼はできる限り多くのことを僕に教えてくれた"

 

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コバチッチがザクレブに加入して3年が経った頃、彼はトップチームで頭角を現していた。

 

2011年にクロアチア年間若手最優秀選手賞を受賞した彼は、その後もハードワークを続ける。ディナモザクレブに在籍中に2回のリーグ優勝と2回のカップタイトルをチームにもたらした彼はインテルへの移籍を決意するのだった。

 

ミラノに到着した彼は大いなる期待を背負っていた。スナイデルからNo10を引き継いだことがその期待の高さを表している。

 

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インテルでは2シーズン在籍し80試合に出場した。インテルでまずまずの活躍を残していたコバチッチだがFFPの影響でクラブは彼を売りたがっていた。

 

モドリッチがいるマドリーとリヴァプールが移籍候補に挙がっていたが、幼少期のジェラードの件があったためコバチッチはリヴァプールからのオファーに断りを入れた。

 

そしてコバチッチは2015年にレアル・マドリードに加わった。

 

レアル・マドリードは層が非常に厚くベンチを温める日々が長く続いた。

 

しかし彼は与えられた仕事を実直にこなしていた。

 

最終的にコバチッチはレアル・マドリードに2015-2018年まで在籍し70試合に出場した。

 

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しかし、出場機会に恵まれない日々に嫌気がさし、昨シーズンの夏、マドリーの練習に欠席するという強硬姿勢を取り、イングランドチェルシーに活躍の場を移した。

 

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昨年の夏にロンドンにやってきたコバチッチは素晴らしいスタートを切った。第2節のアーセナルとのダービーではエデンアザールと共に途中出場を果たしたコバチッチは違いを作り出し勝利に貢献した。現地でもコバチッチは凄すぎるという風潮が作り出されていたそうだ。サッリ監督の信頼を完全に掴み、ジョルジーニョ・カンテ・コバチッチで最強の中盤を作り出していた。

 

しかし次第にそれも崩れ始める。チームが勝てなくなり批判の対象がコバチッチにも向き始める。ファンの間でコバチッチは決定的な働きを出来ないという風潮がその時広まっていた。それと共にコバチッチは絶対的なスタメンではなくなっていた。そんな感じでチェルシーでの1シーズン目は幕を閉じた。

 

迎えた今季、コバチッチは完全移籍でチームに加わった。前任監督のサッリはチームを去り、フランク・ランパードは彼に多くの自由を与えた。するとコバチッチは見違えるような活躍を見せる。まだ得点こそないが、ボールキープ力や推進力などで昨季とは見違えるような姿を披露している。

 

筆者自身コバチッチには大きな期待を寄せている。そんなコバチッチが今季完全移籍でのチーム加入を発表した時にこんな事を述べている。

 

コバチッチ

"チェルシーと契約できて本当に嬉しい。最初はローンだったけど今は完全移籍だ。この素晴らしいクラブには素晴らしいチームメイトがいて、僕らは素晴らしいフットボールを披露することができる。このクラブにいることができて本当に幸せだし、今はチェルシーの選手になれた事を本当に誇りに思っている。"

チェルシーの歴史上で成功した補強TOP5

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チェルシーは今日に至るまで多くの選手を獲得してきた。

獲得してきた選手の中には大活躍した選手、期待に応えられずチームを去った選手など様々いる。

今回は活躍した選手にフォーカスし、筆者が考えるチェルシーの歴史の中で大成功した補強トップ5を勝手に選出した。

 

 

チェルシーの補強において大成功した選手

 

第5位 エデン・アザール

 

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第5位はベルギーのテクニシャンだ。エデンアザールは2012年、チェルシーがCLで優勝した次のシーズンにチェルシーにやってきた。チェルシーがCLを獲ったことに感銘を受けて移籍先をチェルシーにしたという話があるのでミュンヘンでの優勝はベルギーの天才とチェルシーを結びつけた。

アザールは持ち前のテクニックで初年度からスタンフォードブリッジのファンを魅了した。そしてチェルシーでキャリアを重ねていきワールドクラスへと成長した。常に真摯な姿勢でファンと向き合い、無邪気なアザールはファンから愛されていた。彼がロンドンを去る時に誰一人もネガティブな発言をせず、多くのファンが彼の夢が叶ったことを祝福したことがアザールがどれだけ愛されていたかを物語っている。

 

エデンアザールチェルシーに在籍中、6つのタイトルをチェルシーにもたらした。アザールはEL決勝後にレアル・マドリードに移籍したがチェルシーは多額の収益を得ることに成功した。近年のチェルシーにおいてベストの補強の一つと言えるだろう。

 

第4位:ミヒャエル・バラック

 

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第4位はドイツの皇帝だ。バラックは2006年にチェルシーに加わった。当時ネームバリューがあったスーパースターを移籍金0円で獲得できたことがこの補強の何よりの成功点だ。

バラックチェルシー在籍時に6つのタイトルを獲得した。ランパードらと組んだ中盤は今でも伝説として語り継がれる。

チェルシーの試合を観戦している姿がしばしば目撃され、現在でもチェルシーへの愛は健在だ。

やはりこの補強の一番の衝撃はこれほどの選手を0円で獲得できた事だ。現在の移籍市場では1億ユーロ程の価値はある選手だろう。

 

第3位 ペトルチェフ

 

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第3位は守護神チェフだ。チェフは長年チェルシーゴールマウスを守り抜いた。

彼の最大の功績は何と言っても2012年のミュンヘンでの決勝だろう。延長前半にPKをストップし、PK戦でも2本のPKをストップした。12年のCLではチェフが神がかったセーブを連発しチェルシーはトロフィーを掲げることができた。

おそらく彼なしではこの偉業は達成できなかっただろう。

 

ペトルチェフはチェルシー在籍中に15個のタイトルを獲得した。

 

この偉大なゴールキーパーからポジションを奪い、偉大なゴールキーパーからチェルシーゴールマウスを守る上でのイロハを学んだクルトワはチームを裏切るように去った。クルトワは現在チェルシーサポーターから最も嫌わる選手になっている。

 

チェルシーに悲願のCLをもたらしたという観点から彼を3位に選出した。

 

第2位:ディディエ・ドログバ

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第2位はチェルシーの伝説のストライカー、ディディエ・ドログバだ。

ドログバは数多くのゴールをチェルシーで挙げた。その中でも最も印象的なゴールはCL決勝でのゴールだろう。88分のゴールでチームを救った。ミュンヘンでのファイナルでは優勝を決める最後のPKを沈めた。

 

ドログバチェルシーに14個のタイトルをもたらした。まさに黄金時代の象徴のような選手であり、間違いなくスタンフォードブリッジのキングだった。

 

当時の移籍金では非常に高額とされていたが彼が残してきた功績を考えると驚くほど割安である。

 

彼は2位だが、1位でもおかしくないだけの功績を残した選手だ。

 

第1位フランクランパード

 

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第一位はスーパーフランクこと鉄人フランク・ランパードだ。ランパードは2001年、ウェストハムから加わった。チェルシー在籍中に13個のタイトルをチームにもたらした。

 

ジョンテリーとともにチェルシーの黄金時代を支え、初のチャンピオンズリーグ制覇にも貢献した。フランク・ランパードチェルシーの歴史にもたらしたものは非常に大きく一位に選出した。

 

現在はチェルシーの監督を務めており、数多くの若手選手を育成している。新たなフランク・ランパードが現れることをファンは望んでいる。

(コラム) 新生チェルシーの "ファイナルピース" MF ルベン・ロフタスチーク

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カラムハドソンオドイ・リースジェームズが負傷から復帰を果たした今月、オドイはコンスタントに試合に出場し結果を残し、ジェームズはCLでスタメン出場を果たしている。

 

そんなチェルシーにおいてもう一人復帰を渇望される男がいる。その男はルベン・ロフタスチークだ。

昨シーズン、公式戦10ゴールを記録した英国人はEL決勝前の親善試合でアキレス腱を断裂し現在リハビリ中だ。

 

昨季、アザールの次に人気を集めた彼について今回は取り上げていく。

 

➀プレースタイル

 

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ロフタスチークは中盤であればどこでもプレー可能だ。今季のチームならば主戦場はトップ下かウィングになるだろう。

 

191cmの身長のロフタスチークはフィジカルが強く基本的に当り負けはしない。さらに

長身にも関わらず足元のテクニックが非常に高い。

彼の一番特質すべき能力は、191cmにも関わらずドリブル突破能力があるという所だ。

昨季のEL準決勝フランクフルト戦では相手を次々と抜き去り、併せ持った才能の違いを周囲に証明した。

さらにシュート技術も高く、ボールキープ能力も高い。

 

まとめると、ロフタスチークはテクニック・強さ・スピード全てを兼ね備えている。

非常にスケールが大きい選手だ。まだ23歳ということを考えるとワールドクラスになる可能性は大いにある。

 

彼のプレーからはフランス代表MFポール・ポグバと似たようなものを感じる。

 

➁今季のチェルシーだったらどこで起用される?

 

今季のチェルシーで彼を起用するとしたら間違いなくトップ下での起用になるだろう。

 

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トップ下にロフタスチークを配置することによってチームに推進力をもたらし、相手にミドルシュートの脅威を与えることも可能になる。

さらに彼の長身を生かしてセットプレーでの守備でも大きな貢献をチームにもたらすだろう。

個人で打開することができるロフタスチークに相手がマークを割けば、ウィリアン、マウントがフリーになる。ウィリアン・マウントも得点に直結するプレーが出来る。よって相手のディフェンスは間違いなく錯乱する。

 

ユース選手や若手の選手を重宝するランパードの傾向を見ればロフタスチークが復帰後、彼に重要なタスクを授けることは間違いないだろう。

 

➂ロフタスチークの復帰時期は?

 

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今年6月にアキレス腱断裂の大怪我を負ったロフタスチークは当初全治一年と見られていた。しかし現在、プールでのリハビリやサイクリングマシンでのリハビリを重ねており、大方の予想では11月に戦列復帰が可能になると予想されている。

 

ロフタスチークの戦列復帰はチームにとって非常に大きな追い風となるだろう。

 

➃大成長を遂げた18/19シーズン

 

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2017年、ローン先のクリスタルパレスで成長を遂げ、2018W杯のイングランド代表のメンバーに選出。翌18/19シーズン、彼はチェルシーでシーズンを戦うことを決める。しかしシーズン序盤、彼を待っていたのは苦悩の連続だった。新監督のサッリはメンバーを固定する監督だった。彼のポジションではエンゴロカンテ・マテオ・コバチッチが既に大きな信頼を勝ち取っており、ベンチには絶好調のロス・バークリーがいた。ウィングも絶対的なエース・エデンアザールがおり、右ウィングもペドロとウィリアンがしのぎを削っていた。そんな彼には出場機会は訪れずさらにはベンチに入ることも難しい状況だった。

さらにご存知のように、チェルシーはシーズン序盤、最高潮に調子が良かった。2強の背中をピタリとつけており、優勝への期待感も密かに漂っていた。そんな彼には多くのクラブが関心を示し、彼も移籍に前向きだったようだ。

 

.....しかし、サッリは彼を離そうとはしなかった。

 

そんな彼のアピールの場はヨーロッパリーグの舞台だった。ヨーロッパリーグの舞台で別格のパフォーマンスを彼は見せ続ける。

そんな時期、チームは勝てなくなっていた。サッリボールが研究され、苦しい時期を過ごしていた。

ロフタスチークに出番が回ってくるのも時間の問題だった。彼はELのBATE戦でハットトリックをあげると迎えた翌週のリーグ戦バーンリー戦に出場しゴールを奪った。

ここから彼はコンスタントにゴールやアシストを記録していき、チェルシーにおいて欠かせない選手に己の実力で上り詰めた。

 

シーズン終了後の親善試合で怪我をしてしまい、ELの決勝でプレーができなかった事が本当に残念でならない。

 

ロフタスチークは昨季3月に行われたインタビューでこんなことを述べている。

 

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インタビューに応じたロフタスチーク

 

記者

" 君は box to box MF のヤングスターでしたよね。しかしクリスタルパレスではウィングとしてプレーし、アントニオコンテはあなたをFWで試したいと言っていたよね? 結局、君のベストポジションはどこなの? "

 

ロフタスチーク

"自分自身としてはずっと8番のポジションでプレーしたいと思ってるよ。でも他のポジションでもプレーすることは可能だ。僕はただ単にフットボールをプレーすることを愛していて、プレーできるならばどこのポジションだって気にしないよ。けど、自分自身はボックストゥーボックスプレイヤーだと思ってるよ。"

 

記者

"子供の頃のヒーローは誰だった?"

 

ロフタスチーク

"小さい頃はアーセナルティエリアンリをずっと見ていたよ。彼のプレー全てを楽しんで見ていた。ジネディーヌジダンも見ていた。彼は信じられないプレーをしていたね。もう少し成長して僕がチェルシーユースでプレーし始めた時、フランク・ランパードから多くのことを学んだよ。僕がどうやってプレーすべきか彼のプレーから本当に多くのインスピレーションを得たんだ。"

 

Box to Box の第一人者と言えば間違いなくフランク・ランパードだ。彼の指導を受けることによってロフタスチークがもう一段階上のレベルに達することは大いに期待できる。

 

ルベンロフタスチークの復帰を心の底から待っている。

 

彼は現在のチェルシーにおいてベストプレーヤーの一人であることは間違いない。

(第一弾) スタンフォードブリッジに行った時の話。

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チェルシーファンであれば誰もが恋い焦がれる場所がある。

そう。そこはチェルシーの本拠地スタンフォードブリッジだ。筆者はスタンフォードブリッジには2度行った経験があり、2試合を観戦した。

 

今回はスタンフォードブリッジに実際に行った時の話や行き方や観光について話をしようと思う。

 

[目次]

➀最寄駅、行き方

スタンフォードブリッジの観光

スタンフォードブリッジに行った時の話

 

 

➀最寄駅・行き方

 

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スタンフォードブリッジの最寄駅は地下鉄ディストリクト線のフルハムブロードウェイだ。ロンドンの中心地ビクトリアステーションから約20分で到着するので非常に交通の便は良い。

 

駅を出てる左に進むと様々な選手のフラッグが出迎えてくれる。気分は最高潮だ。

 

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そして少し進んでいくと左側にスタンフォードブリッジが見えてくる。

 

試合前日に行くと、現地人がチケットを売ってくれと言い寄ってくるので注意が必要だ。

 

私の場合、観戦した試合がCLのバルセロナ戦だったため多くの人からチケットを売ってくれと言い寄られた。

 

スタンフォードブリッジの観光

 

スタンフォードブリッジにはメガストアと数多くの写真スポットがある。

 

まずメガストアだ。メガストアは中に入るとすぐに見えてくる。中にはユニフォームからクラブジャージ、日用品など様々なものが売っている。

中にはCLとプレミアリーグのトロフィーも展示されている。

スタンフォードブリッジに訪れた際は絶対に立ち寄るべきスポットだ。

 

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2017年のメガストア

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CLのトロフィー

 

メガストアに立ち寄った後は外に出ると良い。そこには様々なレジェンドの功績を称える写真が壁に埋め込まれている。そこで写真を撮れば良い思い出になるだろう。

 

スタンフォードブリッジにはインスタ映えしそうな場所がたくさんあるので行った際はたくさん写真を撮るのをオススメする。

 

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個人的にかっこいいと思った壁

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レジェンド ジョンテリー

 

スタンフォードブリッジで試合を見た話(第一弾)

 

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筆者がスタンフォードブリッジで初めて見た試合は17/18シーズンのチャンピオンズリーグR16バルセロナ戦だ。

 

チケットの手配方法などは要望があれば教えるつもりだ。

 

当時チェルシーは2連敗中、一方バルセロナは無敗継続中で勝てる見込みは非常に低いとされていた。私自身は信じていたわけだが。

 

この日20時からキックオフだったが、18時にはスタンフォードブリッジに着いていた。楽しみすぎてホテルに待機することができなかった。

 

試合開始前、スタジアムの外でウロウロしていると前から大柄なドイツ人が歩いてきた。元チェルシーのミヒャエルバラックと私はすぐ理解した。私は急いで彼に駆け寄り、彼と写真を撮ることに成功した。試合前、チェルシーの関係者が外にいることはよくある事なそうだ。皆さんも行った際は注意して周りをよく見てみると良い。そこには昔、憧れたスーパースターがいる可能性は大いにある。

 

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筆者は試合の一時間前に中に入った。

 

通常は試合の一時間前に中に入ることができる。現地のサポーターは試合前まで外でビールを飲んでいたり、何かを食べているので中で写真を撮りたい人は写真がたくさん取れるのですぐ中に入るのがオススメだ。

 

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選手たちがウォーミングアップを終え、"Blue is the color"を大合唱し最高の雰囲気の中で選手が入場した。

 

そして流れてきた "チャンピオンズリーグアンセム

 

人生の中で初めて体がぞわっとする感覚に襲われた。夢を見ているようだった。チェルシーファンあるいはサッカーファンならばあのアンセムは人生に一度生で聴くべきだ。心の底からの感動を保証する。

 

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試合はウィリアンの得点とメッシの得点により1-1で終了する。

 

しかし、大声援を送った記憶、ウィリアンの得点に現地ファンと抱き合って喜びあった記憶、全てを今でも鮮明に覚えている。

 

チェルシーファンの皆さん。是非一度スタンフォードブリッジに足を運んで見て欲しい。そこには非日常の空間が広がっており、間違いなく人生最高の瞬間になる。

 

現地在住のKOMATSUさんがここ最近のスタンフォードブリッジは過去最高に雰囲気が良いとおっしゃていた。

 

今季は現地観戦するには最高のシーズンだろう。